能楽現在形(一噌幸弘+野村萬斎+亀井広忠)

世田谷パブリックシアターで3日間連続、同じ演目を別の流派で行う催しがありました。
二回目の今回は、半能「融」と能「舎利」です。
各流派異なる小書きによる特殊演出なので、本当は全日拝見出来れば良いのですが、
流石にそうも行かず、2日目の喜多流に伺いました。
能を能楽堂でやらずに敢えて劇場でやる意義は何なのか?
そんなことを思いながら観ていました。
黒いピアノ板のような反射する舞台を全面に敷き、舞台奥に大きな月を映し、
そこからスロープが客席までのびている。
そして能楽師の動きにピッタリ合わせ、様々に変化する効果的な照明。
囃子と地謡は上下に分かれ存在感を示している。
能楽堂と劇場で観るのとの圧倒的な違いと言えば、劇場では照明による演出で、
見せたい所ははっきりと見え、見せたくない所は暗闇を作り、全く見えなくなると言うこと。
つまり、普段は想像しているものをはっきりと分かり易く提示してくれる。
故に次元の違いも確実に伝わる。
能舞台では空間の区切りを観客も理解しているので、個人の想像で補いながら観ている。
つまり守られた世界で繰り広げられるのだが、劇場ではそうはいかない。
しかし、様々な装置を使うことで誰にでも分かり易く見せられるのは劇場の利点だ。
今回の舞台は非常に分かり易く、たとえ筋を知らなくても良く理解し楽しむことが出来た。
しかし、全てを提示してくれるので観客は想像力を使わなくなる。
一方能楽堂では、知識を元に個々の想像力で補いながら楽しむ大人の見方を要求される。
もの凄いスピードでありとあらゆる情報を得、何でも与えられる現代に生きる私達は、
どちらの選択肢を選んで行けば良いのだろう。これからの未来の我々の為に・・・
日時: 23:14 | コメント (0) | トラックバック (0)
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